信州の名工受賞 高田 清

自分の思った通りに部品ができあがったときの満足感は何とも言えません

2020年信州の名工受賞 高田 清

たかだ・きよし/1989年オリンパス(株)(現(株)エビデント長野)入社。
旋盤加工のチームに配属となり、顕微鏡の金属部品加工を担当。
20~30代と非常に若いメンバー8人のサブチームで、7台の設備を2直体制で稼働し生産を行っていた。
現在は、製造部メカグループに所属し、高精度個別注文品や対物レンズ試作品の部品加工を担当。
趣味は映画鑑賞とウォーキング。映画はジャンルを問わず月に1回ほど、家族と鑑賞。ウォーキングは運動不足解消とコミュニケーションを兼ねて妻と行っている。

高田 清

加工のプロとしてのプライドを感じ、私自身の意識も変化しました

私にとって強く影響を受けた先輩が2人います。

1人目は、入社10年目に訪れたフィリピン展開の頃からご指導をいただいた方です。現在は定年退職されていますが、若い頃より対物レンズの部品加工を担当し、開発部門からの信頼も厚く「対物部品加工の第一人者」でした。すべてを継承できたか分かりませんが、この方からのご指導が対物レンズの新製品展開や試作加工技能のベースになっています。

2人目は現在の試作品や個別注文品の加工をご指導してくださった方です。これまで経験のなかったステンレス部品の工程展開や加工について細かく指導をいただいた結果が、今回の受賞のポイントにもなった対物レンズ高精度偏心検査具の製作に繋がっています。 お二人とも加工部品の品質保証にも大変厳しい方たちでした。図面に記載されている寸法はもちろんですが、部品を顕微鏡で拡大して細かいバリや傷の有無まで確認するという拘りを持った方たちでした。

今の自分に欠かすことのできない経験

印象に残っているエピソードが2つあります。

1つは顕微鏡部品のフィリピン展開です。長男が生まれて半年後のタイミングだったため長期の海外赴任を引き受けることを悩みましたが、家族の後押しもあり行くことを決断しました。フィリピンへ2カ月間滞在し2週間ほど帰国する、という生活を2年間過ごしました。言葉の壁はありましたが、辞書や電子手帳を片手に必死になってコミュニケーションを取りながら指導をした事は一生忘れられません。最後の任務を終える際に現地メンバーより頂いた手紙は20年たった今でも大切に持っています。

もう1つは、当時映像分野を手掛けていた際に、デジタル一眼レフカメラ「E-1」の発売に向けてズームレンズの鏡枠(金属部品)の加工立上げを行ったことです。「立上げができる旋盤技能者」という応援要請をうけ約半年間、伊那工場から辰野工場へ出向きました。薄肉の部品加工の経験がなかったため不安が大きく、とても苦労したことを思い出します。3部品を担当し生産移行を行いました。

どちらも今の自分に欠かすことのできない経験となりました。

後輩への指導で気を付けていることや教訓

機械や刃物を使用するので、扱いを間違えると事故やケガに直結します。そのため安全に関わる部分は丁寧に教えています。試作品や個別注文品などの加工は図面を見ながら重要個所を確認し、どのように工程展開すれば良いかを一緒に考えます。考えられる加工パターンと、起こりうる不具合を推測しながら進め、いくつかの候補から最適な工程を選択し加工するように指導しています。

後輩たちには、何事にも地道にコツコツ積み重ねていくこと、積極的に取り組むことを大切にしてほしいと思っています。前向きにチャレンジする姿勢は誰かが必ず見てくれていますし、また、そういう人には必ず転機となるチャンスが巡ってきます。自分自身、顕微鏡部品のフィリピン展開や、カメラレンズの鏡枠立ち上げが転機となってステップアップに繋がったと感じています。

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